相撲界を追われた横綱二人 ① 輪島
相撲では「下手(したて)は下手(へた)に通ず」などと言われ、上手からの芸を身に付けなくては駄目だとされる(上手と下手のせめぎ合いでは上手が有利)が、そんなセオリーに異を唱えるかのように、左四つからの下手投げを得意とし「黄金の左」と称えられた横綱輪島。
下手投げで強襲する輪島(右)。相手は北の湖(NHK「名力士・名勝負100年」より)。
プロの世界では、下手からの芸を極端に嫌う。
「下手投げを打ってはいけない」「下手投げを食ってはいけない」と言われている。ところが、輪島の得意、お家芸は左からの下手投げなのである。(中略)「輪島の下手投げを食うのが不思議だと見る人が多いが、一つ見逃していることがあるのです。輪島が左から下手投げを打つとき、ものすごい力で右から攻めるのです。そのためにこちらのバランスが崩れ、あの下手投げを食うのです」
下手が強いんじゃないんですよ。右が強いんです。よく左を取ったら「黄金の左」だなんて言われましたけど、左はそんなに力、強くないんです。右が強いんです。右の絞りが強いですから、左が活きるんです。
思い出に残る相撲―千代の富士 vs 北天佑 初顔の激闘(1981年初場所十三日目)
まだ相撲を見始めたばかりの子どもの頃、
――投げられたのは千代の富士の方だったが、「なぜか」二人の体が北天佑側に傾いて倒れ、千代の富士が「運よく」勝ちを拾った――この相撲をスローで見ながらそう思っていた。
1981年初場所十三日目。
千代の富士はここまで勝ちっ放しの12連勝。前日は横綱若乃花を破っている。
この日の相手は1敗で追う北の湖の弟弟子、北天佑。兄弟子の援護射撃に燃える。
(写真は画質が良くありませんが、NHKテレビから、大相撲中継の中入りの時間「思い出の土俵」という、昔の相撲を振り返るコーナーから画面を撮影したものです)
立ち合い。
北天佑、得意のノド輪で攻めると、千代の富士もこれまた得意の左前ミツを引く。
千代の富士、前ミツを引きつけて出る。
だが北天佑、寄りを堪えて右四つガップリに組み止める。
北天佑は天井を向いて吊り気味に、
思い切った下手投げ。この思い切りの良さが北天佑のいいところ。
千代の富士の左足が跳ね上げられる。
大きく傾く千代の富士。
千代の富士の体の方が下に。勝負あったか。
千代の富士、右足の親指一本で粘りつつ、上手投げを打ち返す。
両者の体が北天佑の方に倒れ始める。
形勢逆転。
軍配サッと東、千代の富士。
いやあ危なかった、という苦笑いの千代の富士。
リアルタイムで見ていた時にはわからなかったが「運が良かった」のではないし、奇跡が起きたわけでもない。千代の富士が左足の親指一本で粘り、執念で上手投げを打ち返したのだということが、少年の僕には見えていなかった。
(写真では分かりにくいが、勝負が決まった瞬間、向正面の佐渡ケ嶽審判が「おー」というように口を開け、驚いた顔をしている)
ラジオ実況のアナウンサーが「土俵際、ものすごい投げの応酬でした!」と叫んだ。