ぼくの相撲求道録

北の湖、千代の富士時代からの相撲ファン。横綱双葉山にも興味を持っています。ブログタイトルは双葉山(時津風定次)の著書『相撲求道録』から拝借しました。

優等生から「悪役」へ―「横綱白鵬"孤独"の14年」を見て(続)

前の記事で、NHKスペシャル横綱白鵬"孤独"の14年」を取り上げ、白鵬双葉山を比較した(以下、写真は同番組から画面を撮影)。

ただ、この記事の中では、あくまで相撲内容に関することだけを取り上げ、意図的に触れなかったことがある。

 

双葉山が活躍したのは、第二次世界大戦期と重なっていた。双葉山の活躍は――双葉山自身の意図とは何の関係もなかったが――「皇軍無敵の進撃」にたとえられた。双葉山は「国民の英雄」だった。

 

それに対し白鵬はモンゴル人、つまり、この日本においては「外国人」だった。双葉山と比べると、これが力士としての白鵬に出だしから一種の「ハンデ」として働いたことは確かだ。

「悪役」朝青龍 「優等生」白鵬

白鵬台頭以前の相撲界は、朝青龍の時代だった。

破天荒で、時に傍若無人とも言える振る舞いをする朝青龍に眉をひそめるファンも多かった。ギャフンと言わせる力士はいないのかという声もあったところへ登場したのが白鵬朝青龍の天下を脅かし始める。「ヒール」朝青龍に対し「ベビーフェイス」白鵬のイメージで見られるようになる。

 

やがて白鵬朝青龍に取って代わり、2010年に朝青龍は引退。相撲界は白鵬時代となる。

優勝を重ね、双葉山に迫る連勝も記録する白鵬朝青龍とは違い、あくまで「優等生」だったが、上位を琴欧洲日馬富士把瑠都、と外国人力士が占めるようになっていくに及び、次第に「やはり日本人の横綱が欲しい」という声が高まってくる。

 

多年相撲放送を担当した元NHKアナウンサーで相撲評論家の杉山邦博氏によると、白鵬は意外にそういう声を気にするようだ。「一番、大相撲を支えているのは自分なのに、という思いがあるのでは」と杉山氏は語った。

稀勢の里の台頭

そこへ稀勢の里が上位に進出してくる。稀勢の里は、63連勝の白鵬に「一矢報いた日本人力士」でもあった(稀勢の里という力士は、まだ実力未知数だった新入幕の頃から「久しぶりに『日本人』のいいのが出てきた」ということで、やや期待が先走っていた感がある)。
2012年には大関に昇進。徐々に「ヒーロー」稀勢の里に、その「敵役」白鵬という構図が出来上がってくる。

 

そして2013年九州場所「事件」は起きた。

十四日目、優勝を争う白鵬稀勢の里の対戦、稀勢の里が勝った瞬間、館内に「バンザイ」の大合唱が響いた。
何とも言えない表情の白鵬
 
ひいき力士が勝てば歓声を上げるのは当然だろう、横綱が負ける番狂わせに場内が沸くのもよくあることじゃないか、と言う人もいる。
しかし節度というか、騒ぎ方というものがある。万歳の大合唱は、その場にいる負けた方の力士に対する最低限の敬意が感じられない(ついでに言うと私は「座布団投げ」も「手拍子コール」も大嫌い)。
 
たまたまこの時の相撲は見ていなかったので、噂には聞いていたがこの番組で初めて見た。リアルタイムの中継で見た人に聞くと、通して見るともっと異様だったという。そこには単に「ひいきの勝ち」「番狂わせ」を喜んだだけとはいえないものを感じる。
 
少なくとも白鵬の実感としては、自分が活躍することは、この国では歓迎されていないことを否応なく身に染みたものだっただろう。このことがきっかけで白鵬の相撲が荒くなったと言う人もいる。それ以前の2012年秋の妙義龍戦から兆候はあったと言う人もいるが、どちらにしても、負けた白鵬に対しあまりに失礼だったと思う。

白鵬に感じる複雑な思い

この「大達羽左ェ門」さんの連続ツイート、必ずしも全てに同意はしないが、白鵬の成長の跡を振り返ったものとして興味深い。

この中で大達さん(このハンドルネームは元々明治期の強豪大関のしこ名)は、次のように指摘する。

「私はこの時期の白鵬の土俵を好まない。しかし、その背景にあったであろう白鵬の精神状態には一考の余地があるように思われる。稀勢の里の台頭、横綱挑戦と共に白鵬の土俵が荒れていくように見えたのは偶然だろうか」

私も白鵬の相撲には基本的に批判的だ。

それでも、批判しながらどこか引っかかるものを禁じ得ない。

これほど複雑な思いにさせられる力士はいなかった。